アッサラーム アライクム(あなたに平安あれ)
こんにちは、日本人ムスリマのAyaです。
誰かのことを許せない、どうしてもあの出来事を許せない、そんなネガティブな気持ち、誰しも一度は経験があると思います。
今回はその「許す」ということがどれだけイスラム教の中で(そして、人生において)重要なのか、クルアーン(コーラン)と預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)の言行録(ハディース)から探っていきます。
Aya「許す」にちなんだ預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)の人柄と出来事についても記載しています。ぜひ最後までご覧ください。
イスラームが示す「許し」の二つの世界
イスラムにおける「許し」には、大きく分けて二つの側面があります。
それは、①神様(アッラー)からの許し と ②人が人を許すこと です。
この二つは実は深く繋がっています。
まずは、それぞれの許しについて見ていきましょう。
1. 絶対的な許しの源 アッラー(神)の許し
最も大切な存在でありながら、最も誤解されているかもしれないのが、アッラー(神様)のことです。
「イスラム=厳しい、怖い神様」というイメージを持っている方も少なくないかもしれません。
※そもそも、イスラムが信じる神様「アッラー」がどのような存在なのかについては、こちらの記事で詳しく解説しています。
もちろん、不正義に対する公正さ(厳しさ)という側面もあります。
でも、クルアーンが繰り返し強調するのは、アッラー(至高にして崇高な御方)は「許しの源(みなもと)」であるという姿です。
アッラーの持つ99の美しい名前(特徴)の中には、
- アル・ガフール(最もよく許す御方)
- アル・ガーフィル(よく罪を覆われる御方=許し)
- アッ・ラフマーン(最も慈悲深き御方)
といった、許しと慈悲を表すものが数多くあります。
クルアーンには「ガーフィル(許しを与える御方)」という名前の章(40章)があるほどです。
そもそもイスラムでは、人間は誰でも間違いを犯す不完全な存在だと考えられています
大切なのは、過ちを犯した後にどう向き合うか。
誠にアッラーは,悔悟して不断にかれに帰る者 (= 許しを乞う者)を愛でられ,またよく自ら(の心身)を清める者を愛される。
間違いを犯しても、心から悔い改め、より良い自分になろうと努力する人を、アッラー(至高にして崇高な御方)は決して見放さず、その慈悲で包み込んでくださることがわかりますね。

2. 自らを解放する鍵: 人が人を許すこと
そして、アッラー(至高にして崇高な御方)からの許しを得るために、私たち人間に強く勧められているのが、「他者を許すこと」です。
自分を傷つけた相手を許すのは、簡単なことではありません。
しかし、クルアーンは、人を許すという行為が、巡り巡って自分自身に最大の恩恵をもたらすと教えています。
かれらを許し大目に見てやるがいい。アッラーがあなたがたを赦されることを望まないのか。本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。
この一節が示すのは、私たちが他者を許すことで、私たち自身もアッラーからの許しを得るにふさわしい存在になる、ということですね。
「許し」は、相手のためであると同時に、自分が神様の慈悲に近づくための鍵と言えます。
預言者ムハンマドの3つの許し:迫害さえも慈悲で返す許しの力とは
クルアーンの教えを、その生涯を通じて体現したのが預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)です。
彼の人生から、「最も無力な時」「日常の中」「最終的な勝利者となった時」という、異なる3つの状況で見せた、究極の許しの姿を見ていきましょう。
【最も無力な時の許し】 迫害者たちのために祈る
預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)がイスラムを伝えに訪れた都市、ターイフでのこと。
(なお、この出来事は悲しみの年と呼ばれる、預言者の最愛の妻ハディージャと、叔父のアブ・ターリブが亡くなった直後でした。)
彼はそこで、人々から激しい拒絶を受け、子どもたちにまで石を投げつけられ、血まみれになるほどのひどい迫害を受けます。
満身創痍で帰路に立った預言者。
そこに神様から遣わされた天使が現れ、「お望みとあらば、この者たちを両側の山で挟み、滅ぼしてしまいましょうか?なんでも願いを聞きます。」と伝えます。
普通であれば「はい」と言ってしまいそうですが、預言者の答えは「いいえ」でした。
それだけではなく、彼は自分を傷つけた人々のために祈ったのです。
「私は、彼らの子孫から、アッラーのみを崇拝する者たちが現れることを望みます。」
のちに、預言者(彼に平安と祝福あれ)はこのターイフの出来事が人生で最も困難な日だったと述べています。
そんなどん底にありながら、報復を選ぶことなく、自分を迫害した人々の未来の世代のために許し、祈った。
そして、ターイフの人々はのちにイスラム教に改宗します。
許しが大切だ、と体現しているエピソードの1つです。

<参考文献>
言行録(ハディース) Sahih al-Bukhari 3231
言行録(ハディース)Sahih Muslim 1795
Prophet Muhammad Goes to Ta’if: Most Difficult Day of His Life
【個人への無礼に対する許し】 暴力的・無礼な要求に笑顔で応える
預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)の驚くべき寛容さは、彼個人に向けられた無礼な行為の際にも際立ちます。
ある日、彼が歩いていると、一人のベドウィン(砂漠の民)が彼のショールを力任せに、非常に乱暴に引っ張りました。
その力は、預言者の首に跡が残るほどだったと証言されています。
そして男は「ムハンマドよ!お前が持っている神の富から私に与えろ!」と乱暴に要求しました。
(ザカート(喜捨)の要求ですね。もしかすると彼はムスリムになりたて、そして礼儀などをしっかりと知らなかったのかもしれません。)
このような暴力的な行為に対し、預言者は(彼に平安と祝福あれ)怒るどころか、その男の方を振り向き、ただ静かに微笑んだのです。
(なお、イスラムでは微笑むことはスンナ(奨励されていること)です。)
そして、彼をとがめることなく、彼が要求したものを与えるよう命じました。
この出来事からも、許すこと・寛容であることの大切さを感じられますね。
【最終的な勝利者の許し】 故郷マッカでの恩赦
そして、預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)の許しの集大成ともいえるのが、かつてムスリムを迫害し、故郷から追放したマッカ(メッカ)への無血入城の日のことです。
勝利者として帰還した彼の前には、かつて仲間を殺し、財産を奪い、彼の命をも狙った人々が、裁きを待っていました。
誰もが厳しい報復を覚悟したその時、預言者(彼に平安と祝福あれ)が彼らに告げたのは、歴史に残るこの言葉でした。
預言者ヨセフ(ユースフ)が兄弟たちに言ったように、私はあなたに言います。「今日あなたがたを,(取り立てて)とがめることはありません。アッラーはあなたがたを御赦しになるでしょう。なぜなら、アッラーは慈悲深い者の中でも最も慈悲深い方だからです。」
預言者ムハンマドはここでクルアーンの一節を引用しました。(12章 Yusuf 92節)
彼は、長年の憎しみに終止符を打つために「恩赦」を選びました。
その結果、非常に多くの人がイスラム教の真実・光を見出し、イスラム教に改宗したのです。

「許しは「泣き寝入り」ではない ― イスラームにおける正義と慈悲
預言者のこれらの出来事を知ると、「イスラムでは、何をされてもやり返さず、ただ許すことだけが正しいのだろうか?」という疑問が浮かぶかもしれません。
結論から言うと答えは「ノー」です。
クルアーンにはこうあります。
悪に対する報いは,それと同様の悪である。だが寛容して和解する者に対して,アッラーは報酬を下さる。
本当にかれは悪い行いの者を御好みになられない。
この一節が示すのは、イスラームの驚くべきバランス感覚だと感じます。
- 公正な報復の権利(正義): 前半部分で「やられたら、やり返す権利がある」という正義の原則を確立しています。泣き寝入りをする必要はないのです。
- それを超える許しの推奨(慈悲): しかし、後半部分で「それでも、もしあなたが許すことができるなら、それはより高い徳であり、神様からの報奨がある」と、慈悲の道を示しています。
つまり、私たちには常に選択肢がある。
正義を求めるか、それとも許しを選ぶか。
では、なぜ預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)は、マントを乱暴に引っ張られた際に「許し」を選んだのか。
それは、彼が「強者」であったからです。イスラームでいう真の強者とは、肉体的に力がある者ではありません。
預言者(彼に平安と祝福あれ)はこう語っています。
強者とは力で人々を打ち負かす者ではない。真の強者とは、怒りを覚えた時に自分を制することができる者である。
預言者の許しは、無力さからの「泣き寝入り」ではありませんでした。
それは、相手の無知や粗野さを理解し、怒りの感情を完全にコントロールした上で行われた、究極の強さの表明だったといえます。
イスラームは決して不正を見過ごせとは言いません。
「許し」と「悔い改め(タウバ)」:未来へ進むために
イスラームで「許し」を語る上で欠かせないのが、「悔い改め(タウバ)」という概念です。
これは単なる後悔や自己嫌悪ではありません。
イスラームにおける真の悔い改めとは、未来に向けた具体的な行動であり、次のテップから成り立ちます。
- 心からの反省:自分の過ちを認め、深く後悔すること。
- 過ちをやめること:その罪深い行為を、直ちに完全に断ち切ること。
- 二度と繰り返さないという決意:将来、同じ過ちを犯さないと固く心に誓うこと。
- 神に許しを乞う
この悔い改めは、まず第一にアッラーに対して行うものです。
でも、もし自分の過ちが誰か特定の人を傷つけたのであれば、その人に直接謝罪し、許しを請うことが重要だと教えられています。
Aya過去と向き合い、正しく悔い改めることで、私たちは初めて未来へと清々しく歩み出すことができるということですね
このように、イスラムには過去の過ちを乗り越え、人生を整えるための「心の余白」をもたらす実践的なヒントがたくさんあります。

「許す」がもたらす、科学も注目する驚きの効果
「許しは大切だ」という教えは、実は現代科学の観点からもその有効性が証明されつつあります。
許すことのメリットは、精神的なものだけではありません。
- 心の解放:憎しみや怒りという精神的な重荷を下ろし、心の平和を取り戻すことで、ストレスや不安、うつ症状が軽減されることが多くの研究で示されています。
- 人間関係の修復:許しは、壊れた人間関係を修復し、より深い信頼を築くための第一歩となります。
- 心と体の健康:近年の研究では、人を許す習慣を持つ人は、ストレスホルモンであるコルチゾールのレベルが低く、血圧が安定し、心臓病のリスクが低下する可能性が示唆されています。
許すという行為は、私たちの免疫機能にも良い影響を与えるそうです。
Ayaイスラムが1400年以上も前から説いてきた「許しの重要性」が、今、科学によっても裏付けられているのは偶然ではないでしょう
まとめ
今回は、イスラームの教えを通して「許し」の持つ偉大な力について見てきました。
- アッラーは「許しの源」であり、悔い改める者を常に受け入れてくださる。
- 人を許すことは、自分自身が神の許しを得て、心を解放するための鍵である。
- 預言者ムハンマドは、憎しみを許しで乗り越える究極の姿を示してくれた。
- 許すことは、心だけでなく、私たちの身体の健康にも良い影響をもたらす。
辛い、苦しい感情にフタをしたまま許す必要はないと思いますし、すぐに完璧に許す必要はないでしょう。
ただ、「許そう」と試みること、その一歩を踏み出そうとすること自体に、大きな価値があると感じます。
この記事が、少しでも誰かの重荷を下ろすきっかけとなれば嬉しいです。


最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
この記事でお伝えした良いことは、すべてアッラー(至高にして崇高な御方)からのもの。
至らない点や間違いがあったとしたら、それは私の未熟さによるものです。
ここまで読んでくださったあなたにとって、何か一つでもプラスになることを祈っています。
Ayaアッサラーム アライクム
(あなたの上に、平安がありますように)
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