アッサラーム アライクム(あなたに平安あれ)
こんにちは、日本人ムスリマのAyaです。
前回は利子や賭博・ギャンブルといった、公正な経済社会を築くための「富と取引」に関するハラーム(禁止)について見てきました。
今回のハラーム解説・第3弾では、さらに私たちの身近な「人間関係」と「家族」について。
Ayaイスラムが、社会の調和と個人の尊厳をいかに大切にしているか、その深い慈悲に触れていきましょう!
はじめに:「ハラーム」シリーズの全体像
この「ハラーム」シリーズでは、神様の教えが私たちの人生をどのように守ってくれているのかを、4つの大きなカテゴリーに分けて探求しています。
シリーズ第3弾ではリストの3番目、個人の尊厳や家族、そして社会全体の調和を守るための、神様からの導きであると理解されている「社会倫理」に焦点を当てて解説します。
ハラームとハラールの言葉の意味はこちらの記事をご確認ください。
両親への不孝・不敬 (ウクーク・アル=ワーリダイン Uqūq al-wālidayn)
具体例:
- 両親に対して声を荒らげたり、命令するような口調で話したりすること。
- 両親の話に耳を傾けず、ため息や舌打ちのような、不満な態度を示すこと。
- 両親を厄介者であるかのように感じさせたり、人前で恥をかかせたりすること。
- 両親が必要としている時に、助けや経済的な支援を拒むこと。
多くの人が驚くかもしれませんが、イスラムでは「神以外を崇拝すること(シルク)」という最大の罪の次に、この「両親への不孝」が挙げられることがあるほど、重大な罪とされています。
あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが,あなたと一緒にいて老齢に達しても,かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず,親切な言葉で話しなさい。
そして敬愛の情を込め,両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て,「主よ,幼少の頃,わたしを愛育してくれたように,2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(折りを)言うがいい。
クルアーン 17章 al-Isra 23-24節
Aya恥ずかしながら私自身、この教えを学ぶまで、その本当の重さに気づいていませんでした。
家族だからこそ、つい甘えが出てしまい、苛立ったり無礼な言葉を口にしてしまう…。
『家族だから、これくらいは許されるはず』という、無意識の思い上がりが、自分の中にありました。
日本語でも「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、イスラムではより厳しいラインが引かれています。
これは、私たちが無力だった幼少期に注がれた親の無償の愛を思えば、彼らが年老いた時に、決して不満な態度を見せるべきではない、という教えです。
Aya全然親孝行できていない私は書きながら耳が痛いですが、それでもこの教えの温かさ・重要さを心から感じています。私たち皆が、両親に優しくあれますように Insha Allah

※ここで強調しておかなければならないのは、この教えは、親が子に対して、虐待や不正、あるいはイスラムの教えに反すること(罪)を強要する場合にまで、盲目的に従うことを意味するものではない、ということです。
しかし、そのような状況を除いて、子として尽くすべき最低限の敬意と慈悲のラインを、イスラムは非常に高く設定しています。
婚外の性的関係(ズィナ – Zina)
具体例: 結婚関係にない男女間の性交渉。
これはキリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教でも同じ、そして、戦前の日本でも婚前交渉はNGで、普通は結婚することが先でした。
私通(婚外の肉体関係)の危険に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。
現代社会では、個人の自由として軽んじられがちなこの教え。
クルアーンが「私通するな」ではなく、そもそも「近付くな」と命じている点に、問題の根源を断つという予防的な叡智が表れています。
そして、このセーフティーネットが外された今の社会の現実はどうでしょうか。
日本の公的な数字が、その痛みを物語っています。
- ひとり親世帯の貧困率は約48%と先進国でも突出して高く、その多くが母子家庭です(厚労省調査)。
- 夫の「不貞行為(不倫)」は、常に離婚原因の上位を占め、数多の家庭を崩壊させています(司法統計)。

実は、現代の日本や西洋で見られる「婚前の自由な恋愛」という価値観は、歴史的に見れば、ごく最近、特に第二次世界大戦後に広まったもの。
現代の価値観は、個人の自由を尊重する一方で、無責任な婚前性交渉により多くの女性が傷ついており「ひとり親家庭の貧困」や「家庭の崩壊」といった、深刻な社会的コストを生み出している側面も否定できません。
変わってしまった現代社会の価値観と、1400年以上変わらないイスラムの教え。
どちらが、より人間の幸福と社会の安定を長期的に守るための、真に「合理的」なシステムと言えるのでしょうか。
この記事が、その答えを考える一つのきっかけとなれば幸いです。
殺人(カトル – Qatl)
具体例: 法的な正当性なく、人の命を奪うこと。
正当な理由による以外は,アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば,われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。
殺人が許されないことは、言うまでもなく、人類共通の倫理です。
しかし、イスラムにおける「命の尊厳」は、私たちの想像をさらに超えたレベルで強調されています。
クルアーンの別の箇所には、こう記されています。
人を殺した者,地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は,全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は, 全人類の生命を救ったのと同じである(と定めた)。
「一人の命を奪うことは、全人類を殺すのと同じ」
「一人の命を救うことは、全人類を救うのと同じ」
私たち一人ひとりの命が、単なる個人のものではなく、神様によって創造されたかけがえのない価値を持っていることを示しているととれます。
イスラムは、この「命の絶対的な神聖さ」を教えることで、争いや憎しみが、決して人命を軽んじる言い訳になってはならないと、厳しく戒めています。
陰口・悪口(ギーバ – Ghibah)と中傷(ブフターン – Buhtan)

具体例: 本人がいないところで、その人が聞いたら嫌がるであろうことについて話すこと(それが事実であってもNG)=陰口
事実無根の悪評を立てること=中傷
信仰する者よ,邪推の多くを祓え。本当に邪推は,時には罪である。無用の詮索をしたりまた互いに陰口してはならない。死んだ兄弟の肉を,食べるのを誰が好もうか。あなたがたはそれを忌み嫌うではないか。アッラーを畏れなさい。本当にアッラーは度々赦される方,慈悲深い方であられる。
そんな陰口ですが、クルアーンが用いる比喩は強烈です。
「死んだ兄弟の肉を、食べるのを好む者があろうか」
なぜ、これほどまでに強烈な表現が使われるのか。
それは、陰口という行為が持つ、卑劣で、一方的な暴力性を示すためかと思われます。
陰口を言われている人は、その場にいません。
自分を守ることも、反論することも、誤解を解くこともできない、無抵抗な状態です。
それはまるで、反撃してこない「死体」から、一方的にその尊厳や名誉=「肉」を食べているのと同じ、卑劣な行為だ、ということだと私は理解しています。
ゴシップや噂話を楽しむことが、いかに醜悪で、他人の魂を傷つける罪であるかに気づかされますね
なお、イスラムでは神様(アッラー)は慈悲深い存在で、お許しになる存在ですが、こういった他の人を傷つけたことについては神に祈るだけでは許されず、直接その人に謝って許してもらうことが必要だと言われています。
今は直接声に出さなくても、SNSなどで気軽に思ったことを発信できますが、自分でも気づかないうちに陰口や中傷をしてしまうこともあり得ます。日々注意しておくことが大切ですね。
※もちろん、法廷で証言する場合や、誰かを具体的な危険から守るために警告する場合など、公益のための正当な理由がある場合は、この限りではありません。ここで禁じられているのは、そのような目的のない、他者の名誉を傷つけるためのゴシップです。
嘘をつくこと(カディブ – Kadhib)

具体例: 他者を欺くために、意図的に事実と異なることを言うこと。約束を軽々しく破ること。
預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)のハディース(言行録)にこのようなものがあります。
ある時、預言者は尋ねられました。「信者は、臆病者であることもありますか?」
彼は「はい」と答えました。
次に「信者は、けちであることもありますか?」と尋ねられると、彼は再び「はい」と答えました。
しかし、最後に「信者は、嘘つきであることもありますか?」と尋ねられると、「いいえ」と答えました。
殺人や陰口と並んで、イスラムが社会の信頼関係を破壊する毒として厳しく禁じるのが、「嘘」です。
これは、「嘘をつくこと」と「神を信じること」は、一つの心の中に決して共存できない、ということを意味します。
なぜなら、信仰の基本は、目には見えない神様(アッラー)との「誠実な契約」だからです。
嘘をつくことは、神の全知全能性を軽んじている証拠であり、自らの信仰が偽物であることを告白しているようなものだ、とイスラムは教えます。
「優しい嘘」や「お世辞」もハラーム?
ここで、多くの人が疑問に思うのが、「相手を傷つけないための優しい嘘(White Lie)」や「社交辞令」の扱いです。
しかし、イスラムの教えが、いかに実践的で、人間理解に富んでいるかを示す、3つの有名な例外的状況が、預言者ムハンマドの言葉(ハディース)によって伝えられています。
特に興味深いのが「夫婦間」の例外です。
夫が妻を喜ばせるために「今日も綺麗だね」と言う。
これは相手を騙すためではなく、家庭という社会の最も大切な基盤を守り、育むための、イスラムが認めた「慈悲深い知恵」といえますね!
Ayaこの3つ以外の、不必要な社交辞令などは身体に染み付いてしまっている部分もあると思いますが、日々意識して改善していきたいですね
まとめ:私たちの言葉と行動が社会を作る

今回は、私たちの「人間関係」と「家族」という、最も身近で大切な領域におけるハラームについて見てきました。
親への敬意、結婚の神聖さ、命の尊厳、そして言葉の誠実さ…。
イスラムが説く倫理は想像以上に厳しく、そして深いと感じたかもしれません。
もしみんながこの倫理観を守ったら、世界は確実に今より良い場所になることは間違いありません。
その大きな変化も、まずは自分から。
Aya私自身、まだまだ実践が追いついていないですが、日々意識・振り返ることを怠らないようにして、少しずつでも改善していきたいです
【次回予告】シリーズ最終回:イスラム最大の罪と、神のルール
今まで、ハラーム(禁止)について色々な側面から見てきましたが、イスラムが「これだけは絶対に許されない」とする、最も重大な罪があることをご存知でしょうか?
そして、これらのルールは一体、誰が、どのように決めているのでしょうか?
最終回となる第4弾では、イスラム最大の罪「シルク」と、神のルールと誠実に向き合う方法について、掘り下げています。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
この記事でお伝えした良いことは、すべてアッラー(至高にして崇高な御方)からのもの。
至らない点や間違いがあったとしたら、それは私の未熟さによるものです。
ここまで読んでくださったあなたにとって、何か一つでもプラスになることを祈っています。
Ayaアッサラーム アライクム
(あなたの上に、平安がありますように)
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